奥久慈茶の歴史

奥久慈茶は400年以上の歴史があり、室町時代末期ごろ左貫の西福寺の僧によって京都の宇治より茶種子を持ち帰り、植栽したことが始まりとされています。江戸時代には、石附兵治らの努力と水戸藩の奨励によって定着普及したといわれてます。明治、昭和にかけて吉成誠(吉成園創業者)らによって品質改良・製茶技術の改善が進められました。

過去を継承し未来を創る。

山間地特有の寒暖差が大きい気候で育つ奥久慈茶は、葉が厚く、味にコクがあり、香りも強いのが特徴です。

銘茶「花の里」の由来。

奥久慈茶の主な産地は、左貫地区と黒沢地区の両地域にまたがっており、いずれも久慈川に流れを注ぐ初原川と八溝山の河川沿いで、標高150〜350メートル前後の傾斜地または緩傾斜地に栽培されています。

昭和36年、奥久慈茶業組合が発足し、大子町のお茶を「奥久慈茶」と統一しました。高品質かつ安心、安全なお茶づくりを続けています。自園、自製、自販に力を入れ、「お茶屋さんの顔」をしっかり持つことで、茶園の管理〜製造〜製品〜お客様に届けるまでをしっかり信頼でつないでいます。また、各種イベントでの販売・PRを重ね産地ブランドの向上に努めています。